わたしが感じている世界

そろそろこっちで復活するかも

10年前のスキルのまま今を生きられるのか

日々を流れるまま生きていると「毎日成長しなければならない」という言葉が鬱陶しいことがある。常に全力で何かに取り組み、走り続けることができれば成長もできて毎日が充実したものになる。だが、超人でもない限りそのような生活は無理だ。適度に休憩は必要だが、そのまま休憩モードになり流れる日々に慣れてしまうと成長は止まってしまう。

そんなに頑張らなくても生きていけるから大丈夫、と思ってしまうが止まったまま3年、5年、10年と過ぎてしまうと気づかないうちに生き抜くスキルを失ってしまうのだ。10年前の生活を思い出して現代に残っているものはなんだろうか。パソコンや携帯、上下水道やインターネットなどのインフラ、様々な技術が進歩していて生活はガラリと変わっている。


当時貴重だったスキルは誰もが当たり前に使えるスキルになり、簡単だった技術はより複雑になり、一つでは足りず複数の技術を持ち合わせなければ即戦力とはならない。数年止まっただけで社会は想像以上に離れた場所にいるのだ。そこにひょっこり「ブランクあるけど頑張ります」と求人に応募しても過去の実績が唸るものでなければ門前払いである。


必死に休まず食いついてちょっと疲れたから休んだだけで数ヶ月、半年、1年と過ぎてしまえばあっという間に「時代遅れの人間」が出来上がっている。昔やったことがあるから勉強し直せばまた前線で仕事ができる、と思っていたら大間違いだ。できる人間はごく一部であり、勉強し直すのはもちろんだが新しい技術も取り入れないと前線どころかアシスタントからスタートである。そんなはずでは、とまた休みたくなる。


結局、毎日何かしら必死に食いつくことが大事なのだ。
遊びすら継続できない日々では生きている実感すらない。


仕事はしんどくて辛いものだと体に染みついている

仕事は生活になくてはならないものだが、これがしんどくて辛いものである。私の場合は楽しい気持ちが全くなく、そんな気持ちは邪心にさえ感じるのだが周りはそうではないらしい。

辛い中でも楽しいことはあり、その楽しさがあるから仕事に没頭していくのだ。楽しさは人それぞれだが仕事終わりの一杯も没頭できる手段の一つである。私にはそういうものがない、ないということが当たり前になっているのだ。

楽しさを感じられない故に仕事は苦痛を伴いながら報酬を得るもの、それならば特技を活かしてできるだけ苦痛が少ないものを選ぶ、これが私の仕事選び方になっている。楽しそう、面白そうという気持ちから動いた選び方ではない。


楽しく仕事ができる、という感覚が分からないのだ。
世間では当たり前の感覚が私にはない。


奴隷精神が身につくと新たな主人は見つけにくい

どん底のようなブラック企業ではなくとも片足突っ込んだグレー色の企業はたくさんある。多少のブラック感がなければ企業も利益を保てず社員も養えない、分かっちゃいるけどやめられない(改善できない)、そんな会社ばかりだ。

そういう会社でも出来る人間は行動と成果を着実に積み重ねて結果を残していく。だが、日々の忙しさに行動のみになり、大した成果と結果を残せないまま過ごす人間もいる。私のような人間だが長い間その中にいると「与えられた仕事を忠実にこなす社員」となる。私はできる、そう思ってしまうバカな人間である。つまり私は、言うまでもない。

そのようなバカな人間が転職活動すると「与えられた仕事を忠実にこなす社員」の需要はほとんどないことに後から気づいて目の前真っ暗なのである。転職サイトで届くスカウトは希望とはかけ離れた職種からもので、求人詳細や口コミを見ればブラック臭が漂うが「いつでも入社できるよ」と手招きが見えてくる。フラフラといきそうでもうヤバイ。


希望する職種や業務、福利厚生を選んでいくと魅力ある企業はなんと少ないことか。さらに魅力ある企業は求めるレベルが当然高い。とりあえず「気になる」ボタンを押して先方からもアクションがあるか待ってみたりもする。だが当然ない、ない状態でも応募をしてみるが門前払いである。

私のような奴隷精神が染み付いた使えない人間が新しい主人を見つけるのは難しい。奴隷にならないように生きていく必要があったのである。どん底のような場所ではもう働きたくはない、残業代が当たり前に出る会社で働いてみたい。そんな些細な望みすら叶えられない私の実力はどうすれば良いのか。


諦めずに転職活動を続けていくしかないのだ。