わたしが感じている世界

そろそろこっちで復活するかも

歩きタバコする人間は絶滅してほしい

私は歩きタバコする人が嫌いである。

歩きながら不快な煙と吐いた息を周りに撒き散らしてタバコの火は外側を向いているのである。周りに気を使ってる様子はない。気を使っていたらそもそも歩きタバコはしないものである。

歩きタバコを条例で禁止にしてるところもあるが常に監視してるわけでもなく、監視員に見つかることもなく吸い終わるのがほとんどではないか。あの撒き散らされた息や煙の後ろを歩くときは本当に苦痛である。

かといってその場でやめて欲しい言う勇気も時間も労力もない。というかなんだその勇気は。時間も労力ももったいない。静かに周りに迷惑かけることなく絶滅してほしい。

吸うこと自体は構わないのだ。ただ歩きタバコだけはやめて欲しいものである。

東日本大震災から4年が経った今

2011年3月11日に発生した東日本大震災から4年が経った。まだ4年なのか、もう4年なのかよく分からないまま月日は過ぎていくのである。

当時はテレビやネットで流れる悲惨な状況に映画を見ているような現実味のない感覚になったが時間が経つにつれ、現実であり今現在も苦しんでいる人たちがたくさんいる。

私はこうした節目にならないと当時を深く振り返ろうとしない。そして考える。何かできることはないのかと。

バカである。

こうした節目にならないと考えない、行動しない、実行しないのである。本当に私はバカだ。

証言記録 東日本大震災 III

証言記録 東日本大震災 III

東日本大震災―読売新聞報道写真集

東日本大震災―読売新聞報道写真集

諦めた全てを叶えていたらどうなっていたか

何かをきついと感じ、諦めたことによって得られたものは何か。一番は時間だ。得られた時間を他の好きなことに使い、満足度や達成感、結果を残すことができる。それがゲームでも遊びでも仕事でもだ。

だが年を取るにつれ、あのときもう少し頑張っていれば、諦めていなければ、と思うと今の自分は同じ場所に住み、年収はどういう風になっていただろうか、と考える。そして、少し後悔しては今していることをもう少し頑張ってみる。

気づいたらまた諦めて他のことを探し、どうでもいいことに時間を費やすことになる。こうしたことを毎日、毎月、何年と続けて今に至るのだ。

過去を振り返り後悔することが多い分、毎日何かを諦めているのだ。そしてまた数年後に「あのときもう少し頑張っていれば…」となる。どうせ頑張れないのに過去の自分ばかり叱るのである。


諦めない生き方

諦めない生き方