わたしが日々感じている世界

一度の人生、適当に生きようぞ

人生で本当に必要なスキルは自身で稼げるスキル

どんなに長い社歴や多くの資格を持っていても、会社という後ろ盾がなければ仕事ができない人間は淘汰されていくのである。

仕事はできても稼ぐことができない人間は会社から見ればお荷物であり、仕事ができて稼げる人間が代わりに入ってくれば即さよならである。たまたまそういう人がいないからその場にいることができるのだ。
 
人脈もなければ大したスキルもない状態だと次の仕事までどう稼ぐかが重要だ。「ちょっと次のいい会社が見つかるまで御社で働きたい」という気楽な状態と年齢でもないし、そんなお人好しな会社はない。学生ならちょっとアルバイトで、もできるのだがそれもできない。

素の状態で何かしら収入が得られるものがあれば人間は好きな仕事を選ぶことができそうだ。好きなことで生きていく、それができるのは後ろ盾のある稼ぎがあるからだ。私にはない。
 
では今から身につけて稼げば良い、それが答えになるがそれができないからこうして人生を彷徨っているのだ。そして手を伸ばすのはロト6や宝くじという夢である。

ほんの些細な夢にすがる、それが私だ。


自分を捨てることを選んでしまいそうになる日々

残業代など手当のない仕事から逃げるように辞めると、次は手当がしっかりしてる企業をどうしても選びたくなる。転職サイトの求人情報を見るとき、チェックするのが残業についての内容である。

「残業時間は20時間/月以下!」「18時退社するのが普通!」など残業がないような内容もよく見るが、給与の欄を見ると「固定残業代」でそっと閉じることがある。


「月給には50時間分の固定時間外手当が含まれています。」
「超過分は別途手当を支給します。」


もうその時間分まで残業するのが当たり前の内容にしか見えない。

中には「70時間分」と書かれてその超過分を別途手当を支給する、という求人もある。それなのに月の残業時間は少ない、定時近くで退社、という内容はいかがなものか。それ以上残業して過労死ラインまで働いてようやく超過分の残業代を手に入れることができるのだ。

ただ、そういう求人はだいたい常に募集をしていて明るい写真を使い、今までのスキルや経験は問わずすぐ働けます、という内容なのだ。私のようなスキルや経験が薄っぺらい状態だと「応募」を押してしまいそうになる。


私は私を捨てるしかないのだろうか。


「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

転職意欲がなくても転職サイトに登録するとわかるもの

今の会社と仕事に不満がなければそのまま突き進んで成長するのは良いことだ。ただ、全ての人間が不満なく働いてる会社は少ない。不安や不満が溜まっていくと考えたくなるのが転職だ。でもそこで思うのは自身の立ち位置だ。

転職サイトは数多くあるが、転職意欲がなくても転職サイトを覗いてみると自分を客観的に見ることができて楽しい部分がある。名前に住所に年齢に学歴、資格、語学、と入力して職務系経験、職務経歴、最終役職など記入していくといかに自分が薄っぺらいかが分かってきた。なんだこれ、楽しくない。
 
職務経歴はやってきた一つでもそれらしく内容を膨らませて書くことはできる。商品を棚に並べていただけの仕事でも「商品管理、棚卸し業務を担当」とか書けてしまう。というよりこういう風に書かないと薄っぺらい人間は埋まらないのだ。だんだん悲しくなる。

そして次に待っているのはスキルシートである。経歴や業務を詳細に分解してアピールできる材料にするのだが、自己分析に使っても自分がどの程度の地位にいるのか、などが分かってくる。色々思い出す激務、徹夜しながら仕上げた仕事、叩きつけられた書類、思いをぶつける材料はたくさんある。さぁ書くぞ。


・業種
・プロジェクト名、概要
・メンバー数、規模、役割
・企画、要件定義、設計、運用・・・
・基礎力、理解力、問題解決力・・・
・スキル年数・・・


書いてみるとやっぱり分かる、自分がなんと薄っぺらいことか。目の前のことをいかに効率よくこなしても残せるものがなければ、ただ忙しく日々を過ごしてるだけである。社会人としての基礎スキルがなければただの人である。そんな人を誰が雇いたいのだ。

転職が頭をよぎることがない人でもスキルシートに記入したり、転職サイトを覗いてみるといい。スキルシートは検索すれば業種別のテンプレートがたくさんある。スラスラ書けるか、書こうとすると止まってしまうか、書けるけど内容が薄っぺらいか、自分がどういう人物かがよく分かる。


私はもうダメだ。


転職に向いている人 転職してはいけない人

転職に向いている人 転職してはいけない人

転職して「成功する人」と「後悔する人」の習慣 (アスカビジネス)

転職して「成功する人」と「後悔する人」の習慣 (アスカビジネス)

選ばなければ仕事はたくさんある、は若いうちだけである

社会人になれば兎にも角にも仕事漬けになり、一生懸命働いてサービス残業でも必死に食いついてなんとか評価されて次を仕事をまた必死にして、の繰り返しである。そして、ふとしたときに気持ちの糸が切れて退職を選ぶ、それも人生だ。

20代のうちはスキルと経験がなくても意欲とやる気があれば拾ってくれる会社はたくさんあるが、スキルと経験を中途半端に積んだ30代以降は門前払いが多く仕事選びが自由にできない。

さらに同じ職種や業種を選んでも中途半端なスキルと経験のおかけで面接官に微妙な顔をされ、目の前に心の柵を置かれて「ここを超えてから来い」と遠回しに大人の答えを頂くことになるのである。

しょうがない、と後ろを振り向いて別の職種や業種を覗き込んでもスタートラインの給与は当然低く、さすがにこれでは生活をすることができない、とそっとブラウザを閉じる。

若いうちは選ばなければ未来ある仕事はたくさんある、年を重ねても選ばなければ仕事はあるが今より苦しむ状況からスタートののがたくさんある、ということだ。


条件は今よりいい会社。(ただしスキルと経験と結果が十分にある人に限る)


スキルと経験を積んでたくさんの結果を若いうちに積んでおけ、マジで。


転職して「成功する人」と「後悔する人」の習慣 (アスカビジネス)

転職して「成功する人」と「後悔する人」の習慣 (アスカビジネス)

日々を流れるままに生きると中途半端に詰む

気づけばこのブログを作って約5年になる。最初は作りたてとあって更新頻度は良かったが日々の忙しさから書きたくても書けない日が続いた。そうしてるうちに更新も億劫になり、2016年なんか一度も更新をしていない。2017年はたった2回だ。そのほとんどが愚痴レベルなので大した内容ではないので読み返すことはほぼない。

さて、日々をなんとなく流れるままに生きている私だが、ここ数年で人が羨まむほどのスキルや経験を積んできたかといえばない。ちょっと気になって得たスキルも初心者から抜け出してほんの少し人よりできる、そんな誰でも到達できるレベルばかりを積んできた。何かをすれば何かができる、頼まれればなんとなくできる、周りから見たら少し便利な人の出来上がりである。


その結果、自分は何ができるのか、他に何ができるのか、できることはどのレベルなのか、を自己分析すると本当に何もできない人間だった。


流れるままにしてきた仕事だけに自ら動いて無から形にしたものが思いつかない。ちょっとずつ摘んできたスキルに資格のような裏付けもなく、仕事の結果は「できた」という言葉で終わり、そこから得たものはない。結果的に全体のパフォーマンスや売上げに繋がったものであっても、その中の潤滑油として動いただけなので私自身で作り出した結果ではない。左から右へ誰よりも早くスムーズに受け渡しができる、ただそれだけである。


過去を振り返れば「あのとき資格を取っておけば」「無理をしてでも役職のある立場にいけば」「企画を面倒がらずに立てておけば」など色々と言い訳が思い浮かぶ。この言い訳が年々ボディブローのようにじわじわ効いてくるのが地味に辛いのだ。年を重ねた分だけ社会から切り離されていくのが分かる。今からでも遅くはない、そういう思いがさらに遅くしてしまうのだからタチが悪い。


「結局、あなたは何がしたいの?」


そういう生き方をしてる結果、この質問に答えられず中途半端に詰んでしまう。
それが今の私である。