わたしが日々感じている世界

一度の人生、適当に生きようぞ

ブラック企業を生み出すのは人ではなく仕組み


求人内容は良かったのに実際働いてみればブラック企業だった、それが当たり前の世の中である。ブラック企業と呼ばれるのは業務内容ではなく、過重労働への対策や一つの案件に対するチームワークのなさにある。

労使間で定めた時間外労働の範囲を大幅に超える状態が過重労働だが、そこに手当てもなくノルマや責任がのしかかり、減らない業務量を少ない人数(または一人)でこなす日々が続けば誰だって潰れてしまう。


そこでとられる上からの対策は「こうすればいいんじゃないの?」「要領よくやれば終わるよね?」とその場ではなぜか具体的な解決方法に聞こえることばかりである。


対策には時間とコストがかかるものだが、重い腰を上げてくれないことが多く、結局は先延ばしになりその間にその場しのぎのやり方で要領がよくなってしまい、解決したかのように見えるのだ。

そして、そこで生まれたスキルに対して「こういう人材が欲しい」になり、集まった人材がまたその場しのぎの要領で業務をこなす。泥沼化した仕組みが浮き彫りになるまでこれが続くのである。

現場と一体となり時間とコストをかけて腰を据えた対策をしないと根本的な解決にはならない。だがそれをムダな時間とコストととらえられ、すぐ終わらせようと特効薬的な解決方法と言う名の変なアイデアばかりが現場に降りかかってくる。終わりなき悪循環だ。


その仕組みを変えて解決するのは結局は現場の人間なのだ。


大切なことだけやりなさい

大切なことだけやりなさい

自分がいなくてもうまくいく仕組み

自分がいなくてもうまくいく仕組み

見上げれば目の前は闇、その先に見える光は本当か

気づけば2年近くも放置していたこのブログ。そして、始めたのは2013年8月だから4年も経っているこのブログ。私は過去を振り返って積み上げたものをじっと見るものの、特に大きな成長はないようだ。

昔と変わらず仕事への情熱は中途半端なものである。一生かけて、命をかけて、何もかも犠牲にしてまでやりたい仕事は見つからないままだ。それとなく現状にちょっと付加価値がある仕事で、生活に困らないような年収であれば割りと満足できるのだが、現実はそう甘くはない。辛い日々の繰り返しである。


当たり前のように毎日残業、しかも残業手当てはない。人手不足によりマルチ的な業務を求められ、ミクロ的な業務効率を繰り返すも一瞬にしてひっくり返される雪崩のような業務量、足りない時間に増えないモチベーション、重箱の隅にあるミスを指摘されてはそこに費やす知識と技術説明、残るのは疲弊と壊れた脳みそである。


目の前にあるのは闇だが数年先には光があり、様々なことが改善されて手当も十分に用意され、年収アップも期待できると言われる日々だがその闇が日々の生活を蝕んでいるのだ。とても数年、いや数ヶ月すら耐えられるかどうか。体が壊れるのが先ではないか、体だけではなく精神も壊れて社会復帰に数年かかる、なんてことも考えれる。

逃げるように転職サイトを覗けば希望や笑顔に溢れた好条件ばかりで、闇の部分は口コミサイトにいかないとはっきりと分からない。好条件に目がくらんで入社すればまた闇がまとわりついて蝕んでいく、そんなことを繰り返してる人生があちこちにある。通勤する電車の中は負のオーラで包まれ、楽しそうに通勤してる人を見るのは稀である。


汗水流して働くのが労働ではあるが、流したくもない血や肉を捧げてまで働いた結果が廃人では意味がない。そう思いながらもまた一歩廃人に近づいていく日々である。


「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

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経営者から見る夢、従業員から見る夢

経営者は上を見て夢を語る。努力して苦労すればするほど夢に近づき、力をつけてさらに難しい仕事をこなして夢を現実のものにしていくのである。そして、夢の幅が広がり新しい夢にチャレンジしていくのだ。

 
経営者はみんなを上に引っ張っていく存在であり、ピラミッドのような形になる。
 
 
従業員は前を見て夢を語る。努力や苦労も大事だが夢よりまずは目の前の生活である。その会社でできる仕事や地位や権限、年収が現実となる。経営者が語る夢は背伸びしても横から見ても見えづらく、邪魔なものばかり見えてくる。
 
従業員は前を見ているため整列しているような形になる。
 
 
会社は私たちのことをしっかり見ていない、考えていない、というのは方向性ではなく見え方が大きく違うこともある。
 

 

 

 

下町ロケット (小学館文庫)

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下町ロケット2 ガウディ計画

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限られた時間の中で成果を出せない

限られた時間の中で限界を超えた成果を常に求められるのがサラリーマンである。毎日限界を超えるには昨日の限界を超えていなければならない。そんな毎日を送る生活は無理である。

一度転ぶと立ち上がる間に色んなものが通り過ぎていき、前を見ると成果がはるか遠くに感じて諦めの気持ちが出てくる。一度諦めると進むのが億劫になり1日経つごとに進みたくなくなるのだ。

そして、気づいたときには心が折れて座り込み、周りを見ないように膝を抱えて下しか見なくなる。周りは声はかけるが同じ目線で手助けはそう簡単にはしてくれない。そうでないと自分の成果にも響くからだ。

成果なんて10やって半分出せば御の字である。あと半分は自分の成果より周りの手助けをすればよいのである。自分のことはどうでもよいのだ。

限られてるのは時間ではない、人なのである。


エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

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最少の時間と労力で最大の成果を出す「仕組み」仕事術

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成果を出すために犠牲が当たり前になる異常な日常

成果を出すために毎日何かしらの犠牲をしている日常は異常である。だがその異常なことをし続けないと会社が成り立たないというのもまた異常である。

それが当たり前になっているからブラック企業はなくならず、毎日何かを犠牲にして働く人々が増えていき、何かを失っていくのだ。

こうして今夜も夜景が綺麗なのである。