わたしが日々感じている世界

一度の人生、適当に生きようぞ

お盆は身近な人間から自分を客観的に評価される

転職活動中とはいえお盆の期間は企業も休みが多い。求人情報を見たり応募などはできるが、それ以上のことは特にないので帰省をするのだ。

そこで集まる親戚たち、一部は転職活動をしていることは知っているが「仕事は順調か?」という会話を濁しながら進めるのがきつい、結構きつい。会社の飲み会のように「ちょっと用事が…」と抜け出す技が使えず、「実は…」と切り出すタイミングをお酒の力でかき消されて心はいつの間にか無となるのだ。


ここで自分の仕事は全うなのか、勤めてる会社は健全なのか、将来の夢は実現できるのか、などを自然と語る場にもなるが内容が濃くなるにつれて「自分が目指す場所と未来」が語れないことを知る。ある程度は語れるにしても本当の心をさらけ出すと何もないことを知るのだ。


親戚が集まる場は個の強さなければ心が萎縮して無となる場でもある。
アァ…ツライ。でも「頑張ろう」と思う場でもある。


「選ばなければ職はある」それは自分を殺していく作業だ

転職サイトで自分に合う仕事を検索しては見つからない、見つけても採用まで辿り着けない毎日だ。申し込みの一歩前である「気になる」ボタンを押して相手企業からの「歓迎」が返ってくると嬉しいものだが、結果的に不採用だとさすがに凹むものだ。

勉強もして本気で取り組んだ2〜3週間が不採用で終わると簡単には立ち直れない。かといって同時に何社も申し込みをして、面接を連続で入れるほど私は器用ではない。3回目の面接ともなれば役員や社長が出てきて、出し切った面接知識がさらにカラカラになって言葉に詰まり不採用となる。


何度も転職活動をしていると志望動機も「気になる押したら歓迎が返ってきたので応募しました」くらいでいいんじゃないか、面接も1回で済ませてくれないかと思うものだ。面接が2〜3回あると応募から結果まで2〜3週間はかかるので、その間は他の企業に応募するのも躊躇してしまうのだ。


自分の進みたい職は本当は向いていないとすれば、私は何を選んだらよいのだろうか。すぐ採用されそうな仕事は探せば確かにある。だがそれは給料が低い、サービス残業が当たり前、休みも少なく休日出勤もある、など労働条件は正直良くない。

こうした良くない部分を「仕方ない」に変え、「頑張るしかない」と思い込み、「他はもう探しきった」と諦めてちょっとずつ自分の殺していく先にあるのはただの地獄だ。


私は地獄に向かっているのだろうか。


サービス残業は美学でも何でもない、ただのゴミだ

仕事がこなせず残業してしまうと能力の低さに歯噛みしてしまうが、そこには残業代が発生するからこそ生まれる感情である。対価があるので残業をしても全力で仕事に取り組めるのだ。

だが、残業代の制度が元からなく、サービス残業が当たり前になると自身の能力の低さより、会社の意識の低さに不満が生まれて残業をしても全力で取り組むことはない。慣れると全力で取り組んでる姿勢を見せながらダラダラと生産性の低い仕事をする時間になっていくのだ。

また、1.5人〜2人でやれば定時で帰れる業務量でも1人で数時間残業をすれば終わらせることができる、サービス残業はそんな仕事ばかりだ。1人で時間をかければできてしまう、それが人を雇うことができない悪循環を生んでしまう。

サービス残業なので「残業代を出すくらいなら人を雇う」という考えも会社にはない。残業のコストがかからないからサービス自体も安売りをして、誰よりも低価格で提供するものだから薄利多売となり「多売」のところで従業員に負担をかけ、また悪循環を生んでいくのだ。

その結果、忙しいのに給料が低い仕組みが出来上がる。


忙しいことを美学にすると悪循環に拍車をかけて新しいことを取り入れず、楽な方法を提示しても決まったやり方から動こうとしない。こっそりやろうものならずる賢い、悪知恵を使っている、と負のレッテルを貼られてしまう。仕事をするための仕事を繰り返しやることが美しく正しいことになっていくのだ。

「人が足りない」は工夫と改善や仕組みの変化で解消することもあるが、基本は「できなかった」がないと会社は人を雇ってくれない。「できている」状態だと、なぜ人を雇う必要があるのか、と会社は思ってしまうのだ。


できている仕事も一度はこけないと分かってくれない。
だが、仕事はこけることが簡単にはできないのだ。

人間は簡単にこけて倒れるのに。


カビのように浸透した腐ったトップは組織全体を脅かす

会社という組織はトップのさじ加減で下の人間の働きやすさが大きく違ってくる。良い組織であれば下の人間の環境や働きに対して真摯に向き合い、悪しきところを上手に引き出して改善をし、困ったことがあれば手を差し伸べてくる。それが役員や管理職にも浸透していき、良い環境がより良い環境を作り上げていく、そうした良きスパイラルが生まれるのだ。

これが傲慢で我が儘なトップであれば下の人間は言うこと聞いて当たり前、厳しい環境であればあるほどやりがいが生まれて人間的な成長にもなる、働くのも生きるのもトップの自分のおかげなので感謝すべきである、と書いてても気持ち悪い秩序によって最悪なスパイラルとなる。

このようなトップはご機嫌取りでも敏感に対応しなければならず、会議室に水や茶菓子がなければ機嫌が悪くなり簡単な話でも聞き入れてもらえない。水や茶菓子を用意して挑んで言葉を慎重に選びながら会話を進めてようやく完了した場合でも、この水や茶菓子は「勝手に用意されたもの」であり指示や命令ではない。


これが最悪なのだ。


こっちが勝手にしたことなので横柄で身勝手な態度にストレスを感じて抗議をしても「一度でも指示や命令はしたか?」とねじ伏せられる結果になる。また、これで機嫌を悪くして「トップに逆らった人間」の烙印を押され、じわじわと難癖をつけては結果を出せない環境にされていき、服従するか逃げ出すかの選択になる。

それでも立ち向かうタフな人間がいても、培ってきた権力をちらつかせて「組織」という言葉を巧みに使いねじ伏せられることになる。それが何度も繰り返されると確固たる地位になり、誰も逆らえない最悪な組織になっていくのだ。


この腐ったトップを組織から叩き出して組織を再生するには下の人間全ての力を団結させ、あらゆる証拠と悪しき実績を揃えて抗議するのだ。どうせ否定され続けるのでそれを証拠を使いながら詰めていくのだ。勝てばよいのだが、根強い腐ったトップを叩き出すには膨大な人と時間を使うため、結果負けてしまう場合もある。負けてしまう想像をするとただただ気持ち悪い。


こうした腐ったトップは外の力も使って叩き出すことも必要だ。
ただ腐ったトップかどうかは入社する前に分からない場合もあるのでこの世は残酷である。


自殺は敗北なのか解放なのか

休まず働いて疲労が溜まり続ける日々になれば、ふと死ぬことを考えたくなる。あそこに飛び込めば、ブレーキを踏まず壁に突っ込めば、ずっと息を止めていれば、そんなことを考えながらまた出社をして心身を騙しながら働くのだ。

心身が限界を超えていくと退職という選択を考えなくなり、死ぬことでこの苦痛から逃れたいという思いが強くなる。だが、私は一線を越えることはなく長い時間をかけて退職という選択をすることができ、問題なく生活することができている。こう書くとかなり深刻なイメージになるが誰もが思う「もう嫌だ、死にたい」という線の中にいる。

それに私が一線を越えることがなかったのは、周りからの様々な支えがあったからだ。どれもほんの小さな支えであり、明るく挨拶をされたり、遊びに誘ってくれたり、愚痴を聞いてくれたり、誰もが経験のあるものばかりだ。だが、それが本当に芯にくる支えとなった。それがなかったら簡単に一線を超えていたのかもしれない。


自殺をしてしまえば周りには迷惑をかけることになるが、本人にとっては全てが嫌になり、失うばかりの日々に敗北したのか、全ての鎖から解放されたのか、どちらになるのだろうか。実際は両方であったり別の結果だったりするのだろうか。

一線を超えないようにするには周りからのどうでもいいお節介を受け入れる。こちらも誰かにお節介をし続けることで越えないようにしていく。そういう繋がりで人と人は成り立っていくがそれも心身に影響があれば敗北や解放を望むことになる。生きるのは面倒くさくて難しいものだ。


なんとなく昔を思い出しながら考えてみた。
転職活動中の暇な時間も心の整理になるので悪くはない。