面倒くさいは人生最大の壁
何をするにも面倒くさいに勝てない私。
なんかこう、色々と面倒くさい。最初の一歩がとてつもなく面倒くさいのだ。この壁さえなければ、この一歩さえ踏み出せれば、私は面倒くさいに打ち勝つことができて前に前に、ずっと前に進むことができるのだ。
だが、その一歩が果てしなく面倒くさい。
あぁもう面倒くさい。
そして、また明日も仕事である。
頑張るその気持ちすら面倒くさい。
でも頑張ろう。
仕事ですることがない時間は本当に辛い
周りは何かしているのに何もすることがない私。
山ほど仕事があるのも嫌だが、全く仕事がないのも嫌なものである。周りは何かしら業務を抱えているが、私自身はぽっかり何もすることがない時間がある。何か、何かないのか、何かを求めて周りに声をかけるも特に手伝うこともない。
何もすることがないのでただパソコンの画面を眺めているだけだ。ニュースサイトを真剣に読みふけるわけにもいかず、何かノウハウ系のサイトを見ようにもサボっているように見えて困る。サボっていないのだが何もすることがないのでサボっているのと変わらない。
こういうときの時間は本当に遅く感じるので困る。
あぁ、早く帰りたい。今何時だろう、あぁ、まだこんな時間か。あぁ、早く帰りたい。もう1時間は経っただろうか、あぁ、まだ30分も経っていない。あぁ、早く帰りたい。もうすぐ定時だろうか、あぁ、定時まであと2時間もある。あぁ、もう無理、もう無理ぃぃぃーー。
そんな感じで過ごしている。
ちなみに全く何もないまま数時間過ごしているわけではなく、ほんの数分程度で終わる業務がちょくちょく入る。ちょくちょく入るが、一瞬で終わるものばかりなのですぐ暇になるのだ。もっとこう、ドサっときてもいいのよ、ドサっと。
山ほどある仕事を考えながら出勤するのは憂鬱で仕方ないが、仕事がほとんどないのに出勤するのも結構憂鬱なものである。何もすることがないのに出勤する意味はあるのだろうか、そんなことを考える。意味があるから出勤するんだが考える。
考えれば考えるほど憂鬱になって心のどこかでヒビが入ってくる。
とりあえず明日も仕事だ。
何かを頑張るために頑張ろう。
また明日から平日が始まるのか
休みの日はあっという間に終わる悲しみ。
また明日からいつもの平日が始まると思うとテンションが落ちていくのが分かる。やったー!明日からまた仕事ができるー!とはならないのが私だ。
「仕事がある喜び」と「仕事ができる喜び」は違うものだ。
どちらも喜びにできる人になりたいが、ぼんやりとした将来像しかもっていない私には縁のない喜びである。適度に仕事をして適当に暮らしたい。
ただそんな気持ちで就職できるほど社会は甘くないので、巨大隕石とかフリーザとかが一瞬で地球を消滅してくれないかとか考えてしまう。あぁ、地球とともに一瞬で無になりたい。
そう考えていても明日から仕事である。
やだなぁ、やだなぁ、背筋凍る恐怖を感じながらも振り返るといるんですよ…赤い日曜日の次に漆黒の闇を纏った月曜日が。
きゃぁぁぁぁあああーーーーッ!!!
おやすみなさい。