わたしが感じている世界

そろそろこっちで復活するかも

親の顔を見て一安心の三連休が終わろうとしている

連休前に親から「実は痛くて動けない」と言われて速攻で実家に向かった私。



上記はそのときの記事。この三連休は親の側にいて病院に行ったり、代わりに買い物に行ったり、一人でも行動がしやすいような道具を買ったり、食事を用意したり、掃除や洗濯をしたりと普段できていない親孝行もできた。

痛みの原因は背骨にあり、今は付き添いをしないと一人では辛いが、なんとかなりそうな状況なので一安心もしている。


だが、ずっと付き添いできるわけでもないので、親が一人でも行動できるように段取りもしないといけない。三連休はその対応に時間に費やした。といっても元から対応できいたところもあったので、短い時間でなんとかできた。


今日も買い物や食事の用意、洗濯や掃除などするが連休が終わればまた仕事だ。
仕事も大事だが、状態が良くなるまで実家にいたい気持ちもある。

もどかしい気持ちになるが仕方ない。


心配をかけてくれない親が心配でたまらない

たまに実家に帰るようにしているがその度に心配をする私。

親は病気になってもどこか痛くなっても我慢をするほうで、我慢・我慢・我慢をしてやっと病院に行って、悪くなっていたことを事後報告してくるタイプだ。日々気にかけていても「大丈夫なんともないよ」と言い、あとになって「実はね、あのときすごく痛かったんだ」と言うのだ。


私自身に信頼がない、信じられないとかではなく「心配をかけたくないから」という単純な理由だ。昔からそうなのだ。「心配をかけたくないということ自体が心配だからやめて、もっと心配をかけていいから」と何度言っても心配をかけてくれない。


過去に病気で入院したこともあった。

そのときでさえ「看護師に心配をかけたくない、忙しそうだし迷惑になるから」と痛みを我慢してナースコールをしないのだ。その結果、命が危なくなったこともあった。病院から「今すぐ来てください、他のご家族にもご連絡を…」と電話がきたときは頭が真っ白になった。

その後、医師や看護師の懸命な処置もあり、危機を乗り越えて無事退院できた。
周りに優しく接するのは良いが度が過ぎるとただの悪循環なのだ。


そして今、連休のどこかで実家に帰ろうと「調子はどう?」と連絡をしたら「実は痛くて動けない」と返事がきた。慌てて詳細を聞いみると今は大丈夫そうだが、上のような出来事もあるのですぐ実家に向かった。現在、実家である。(実家は100km以上離れてる)

実家に着くと顔色や症状は良く、痛みもだいぶひいてるようで一安心だが明日病院に連れていく(他の持病もあるため)。痛みの原因が分かれば対処もできてもっと安心できるが、なんでこう痛みを我慢してしまうのか…。もっともっとこっちから寄り添わないとだめだ。

何かあってからでは遅いのだ。


にしても実家に着いてから言われたのが「わざわざごめんね、心配かけたくなかったから言えなかった」である。もう私は泣きたい。こう言わせてしまう私自身の力のなさに…。もっと気楽に心配をかけて、こき使ってほしいものである。

なんかもっと書きたいこともあるがこの辺で。。。


この三連休は親に寄り添うことになる。


もう少し頑張れば三連休

今週末は三連休だというのをついさっき気づいた私。

無職の頃は毎日が日曜日だったので連休という考えがあまりなかった。毎日が連休だったし。それが年明けから働くことができたので、休日のありがたみを改めて知ることになるのだが、働くだるさも思い出してしまう毎日だ。

さて、三連休は何をしよう。
って、次の転職活動と資格の勉強か。


今の仕事がしばらくしたら契約終了になるので、その次を早く決めなければならない。転職サイトを漁る日々だが目新しい求人がない。というより、私の力量で長く雇ってくれるホワイトな会社は存在するのだろうか。いや、存在してくれないと困る。。。


さて、寝る前に日課の求人漁りをしよう。
そして、また明日も仕事を頑張ろう。