わたしが感じている世界

そろそろこっちで復活するかも

応募する企業も見つからず、ただ過ぎていく日々の転職活動

転職サイトで求人検索するのも慣れ過ぎてしまい、更新チェックはすぐ終わってしまう。そして、毎日のようにくる見当違いなスカウトメールを流し読みして削除していく。1〜2回届く程度で辞退はしないが、あまりに届くとそっと辞退ボタンを押してしまう。

気づけばもう1ヶ月以上どこの企業にも応募していない。応募したい企業がない、あったと思ったら技術レベルが全く足りない、良さそうと思って口コミなど調べたら強めのブラック臭、もうダメだ、死ぬしかないのか、私は。


もう強めのブラック臭がする会社に応募も考えてしまうが「嫌なら辞める」という選択は、今の転職活動の状況を考えればできない。人生を左右するできごとなだけに慎重に選びたいが、そんなに悩みたくもないのも事実。だって、いきなり心の底から会社を愛することはできないから。


愛するよりも愛されたい。


企業も働く人もお互いそう思っている。
だからずっと分かり合えずブラック化する。


退職して分かる自分という魅力の弱さ

退職をして数ヶ月経つ今、日に日に感じるのは私という人間には魅力がないということだ。退職時に社内と社外に挨拶をしているが、その後の繋がりというのはほとんどない。

淡い期待として「そうなのか、次決まってなければうちに来ないか?」というのを想像してしまうが、そういうのは全くない。なるほど、私は客観的に見たらただの人、ということになる。私は即戦力ではない、雇いたいほどの人間でもない。


他社から引っ張りだこになるほどのスキルも人脈もないのは分かっていたが、淡い期待が現実として見ると結構きつい。そして、いろんな会社から門前払いが続いてる今、この現実はさらにきつい。私の魅力はこれほどなかったのか。

退職時、淡い期待というのは絶対してはならない。
期待するくらいなら積極的に売り込むほうがよいだろう。


気づけば9月も半ば、もう1ヶ月近く転職活動に進展はない。
平成最後の年、このまま無職で終わるのだろうか。

「大丈夫、就職できる」という淡い期待が私を蝕む。


良き求人がなければ一歩も進むことができない転職活動

無職生活をしていると堕落した生活に慣れていき、働く意欲もなくなっていくので失業というのは怖い。働きたいと思う会社に振られ続けているので、良き求人に出会わなければ無職生活は問答無用で続行なのである。

慣れた求人検索にキーワードの変化を入れても見つからない。転職サイトに頼らず気になる企業サイトを閲覧して、求人ページを見つけてはじっくり探すも見つからない。見つからないあとは自由時間である。堕落した自由時間、私は特に何もしない。堕落しているから。


テレビを見ると夏休みが終わって学業が始まり、子供たちは「もっと夏休みが欲しい!」と嘆いている。あぁ、私はまだ夏休み。子供たちが欲しがる夏休みを延長して堕落した自由時間を過ごしている。というよりこの長さの休みはやばい、人を堕落させるには十分すぎる長さだ。

この状態で良き求人に出会っても燃え上がる働く意欲が湧くのだろうか。湧いてくる自信がない。「この空白の時間は何を?」という質問が目に見えている。「堕落してました」と正直に答えかねない。そんな答えをしたら笑ってない目で笑われるに違いない。


「明日やろうは馬鹿野郎」


今の私は毎日が馬鹿野郎である。
そして今夜も堕落である。

あぁ…、働きたい。