わたしが感じている世界

そろそろこっちで復活するかも

疲弊してる状況を打破できるのはやっぱりお金

世の中お金が全てである。

ことあるごとに出費が多くなるとこの結論に達する。物足りない手取りを片手に握りしめ、目の前に広がる山のように欲しいモノたちをいつも眺めている。あぁ、お金が足りない。買えない理由はそれだけだ。

お金のことを解決するにはやはりお金である。給料を増やすためにはとにかく仕事だ。慣れない仕事、したくない仕事もこなして責任ある立場に昇格してさらに…とエンドレスなことをしてとにかく仕事である。でも、そのエンドレスな仕事はしたくないのが本音である。私、死んじゃう。

夜遅くまで残業することでようやく一日の仕事が終わる今の生活。これを打破するには新しい仕組みや組織編成などもいるがまずは「人」だ。人がいなければ時間をかけてやるしかない。そして、人を雇うのはコンビニでアイスを買うように簡単にはいかない。募集など様々なところでお金がかかり、雇ったあとも保険やら税金やら備品やらで色々とお金がかかる。

そのかかったお金をサービスやら売上やら粗利やら原価やら利益やら面倒くさいものに反映させてそこから給料が払われてようやく生活というものができる。その生活を向上させるためにはお金が必要なのだ。お金お金お金、とにかくお金がいるのだ。

でも、片手に握りしめられた手取りは同じ仕事を繰り返ししてるだけでは増えないのである。お金を眺めてるだけでは増えないのである。増えてほしいのに。増えていいのに。

そして、今日も小銭を数えながら牛丼屋に向かうのである。
 

池上彰の お金がわかれば世の中がわかる (マガジンハウスムック)

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ホンネの経済学―教科書ではわからない世の中とお金のしくみ

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辛いは楽しいを経験してるから乗り越えられる

「仕事は楽しいものだ」「仕事は辛いものだ」どちらも聞く言葉である。卵が先かニワトリが先か、ではないが仕事は楽しいのが先なのか辛いのが先なのか、をふと考えることがある。

私の中では楽しいが先にないとすぐ潰れてしまう。心の底から楽しいと思える仕事をしていないので潰れてばかりなのがなんとも情けないことだが、ほんの少しの楽しさがないと辛いことを乗り越えることができない。辛い上にまた辛いことがのしかかると生まれたての子鹿のようにプルプルしながら最終的には地べたにはいつくばるのだ。それが布団の上であれば涙で枕を濡らしながら眠りにつくのである。

仕事は確かに辛いことの連続であり理不尽な要求のオンパレードである。そこをどう攻略していくのかが仕事の醍醐味であり楽しさでもある。だが、大した実力も実行力も人脈もない私はいつもオロオロしながら右往左往して壁という壁にぶつかってようやくゴールを見つけてダッシュするものの、ちょっとした段差でつまずいてヨロヨロしながらドブに片足を突っ込むのである。

そんな失敗を繰り返して枕を濡らしては夢の中でも何かに追いかけられて崖から落ちて目が覚める。そういう毎日を過ごしているうちに落ちてる間に何かできないか、もうちょっとこう向こう側に飛べたり着地したりできないか、とか助かるための模索をするのだ。

するとどうだろう、猛スピードで地面に激突して目の前が真っ暗になり「あぁ…私は死んだのか…」とほんのりリアルな死を体験することができたのだ。ダメじゃねぇか、コレ。

そして、起きると涙で濡れた枕が今度は寝汗でびっしょりなのだ。時間はまだ朝の4時。のども乾いたので麦茶を一杯飲んで冷房を入れ、一時間タイマーにしてからまた眠りにつくのである。そして、実感するのである。

辛い仕事は夢の中でも辛い。

仕事が「ツライ」と思ったら読む本

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え?今までなにしてたの?: ―絶望しないためのサプリメント―

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弱った自分を立て直す89の方法 (祥伝社黄金文庫)

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毎日が面倒くさいとの闘いである

仕事とは面倒くさいの連続である。

メールにしても電話にしても始まりの挨拶に終わりの挨拶、用件を伝えるつもりが確認が増える、決裁を求められても権限がないから上司の元へ、そしたら上司がいねぇどこだクソ、とそれはもう面倒くさいの連続である。

このそれぞれをミッションとして楽しめればよいのだが、楽しめないあたりが下っ端である。だから出世しないのだ、私は。任される仕事も誰かに容易にバトンタッチできるものばかりだ。

毎日、大波小波とくる面倒くさいをクリアしながらなんとか生き抜いている。この一つ一つに戦略を練り込めばクリアしたときの達成感は格別なものだろう。与えられたクソみたいな仕事でも自分の手のひらの中で練られたものであれば頭を下げながら顔は笑っていられる。

だが私にはそんな緻密な戦略を練る知性もなければ戦術もない。気づいたらだいたい誰かの手のひらの中で踊っている。そして、それに気づかないでドヤ顔してるのだ。私はやったぞ、私だけの力で達成したのだ、と。本当は生まれたての子鹿みたいにプルプルしているのに。

そういう毎日を繰り返しながら面倒くさいをやっつけてはまた面倒くさいを迎えるのである。歓迎してないのに陽気な顔してやってくるのだ、コイツは。たまにクソ忙しいときに斜め上からやってきて満面の笑みで肩を抱いてくるのである。

その度に私は想う。
地球、爆発すればいいのになぁ。

仕事も人間関係も「すべて面倒くさい」と思ったとき読む本

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「面倒くさい人」と賢くつき合う心理学 (フォレスト2545新書)

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