才能とは理解力の高さだ
何をしても才能があるほうがいい。そう思うのは当たり前のことだ。だが自分自身が一体どんな才能があるのはさっぱり分からない。
周りやテレビを見て初めてしたことなのに上手にできると才能があると人は言う。お世辞もあるが本当に才能があるのでは、と思わせる人もいる。こういうとき才能があるとはどういう状況なのか。
失敗なくこなせる、熟練の人のように仕上がる、スムーズにこなす、その状況は様々だが私が感じるのは理解力の高さだ。どういう風に扱ったらどうなるか、が理解できているのではないだろうか。
単純な例で伝わりづらいかもしれないが、初めて車を運転したときどのくらいハンドルを切ればタイヤが動いて曲がっていくのか、をなんとなく理解して進んでいく。このとき何も理解していなければ路肩に落ちたりぶつかったりパニックになる。理解していればなんとなくできる。
理解力あるイコール才能がある、は短絡的すぎるがちょっとした理解から始まり絶え間ない努力があれば天才に繋がるのだろう。ちょっと人よりできるから天才、というわけではない。
自分の中でそつなくこなして才能があると感じたものをリストアップしてみるのも面白いかもしれない。そこから自分が何に向いていてこれから努力を重ねるべきものは何なのか、を見極めることができる。
あれがしたい、これがしたい、ではなく自分の中で気づいていない才能を見つけることもやってみてほしい。きっと何かあるはずだ。見つけたら努力をして開花させよう。やりたいことはそれからでもいいじゃないか。
- 作者: 北端康良
- 出版社/メーカー: 経済界
- 発売日: 2012/03/24
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 14回
- この商品を含むブログ (1件) を見る