ムダと思って改善するのはだいたい気まぐれ
日々仕事をしていればムダだと思うものはたくさん出てくる。時間のムダ、備品のムダ、工数のムダ、経費のムダ、人材のムダ、技術のムダ、などなど言い出したらキリがないくらいだ。しかもそのムダは人によって感覚値は変わってくる。
最近のとあるTwitterでは資料の改善を指示され、完成したあとに戻しの指示がきたがそれをバックアップを適応させて提出したら「なんで手を抜いてるの?」と言われたやつが話題になっている。これも色んなムダが溢れているが、この上司にしたら手間暇かけたものはムダではないということだ。どう考えてもムダだけど。
ムダと分かっていてもやり続けることもあるのが仕事だ。ムダをなくすために人や機材の導入、開発を提案してもどのくらいムダがなくなるのか、元はいつ取れるのか、変わらなかったらどうするんだ、○○○○円以内ならいいぞ(安すぎる予算)、とかゴールがとても遠くに感じるやりとりが発生する。
このやりとりを何度か経験していると今やってるムダな作業を改善しようと思っても、あのやりとりをまたするのか?と思い出したらちゃちゃっと今のムダを終わらせたほうが気が楽なのである。そのムダが毎日ではなく月に数回、半年に数回であればなおさらだ。
「まぁ…頑張ればできちゃうし」
この言葉をつぶやきながらそのときだけ時間と労力とかけてこなしていく。そしたらいつ改善するのか?ぶっちゃけヒマなときと予算がありそうなときである。体力と時間とお金がないと面倒なやりとりなんてしたくもない。
もちろん、クリティカルな問題であれば体力と時間とお金がなくても提案と改善は随時やるべきなのだがこの場合は「頑張ればできちゃうし」という改善してくれたらありがたいけど今のままでもなんとかなっちゃう、というものだ。厄介なことにこういうレベルのものがいくつも積み重なりながら仕事をしている。
「あぁ面倒くさい、でも頑張ればできちゃうし」
こうしてまた一日が終わる。
今年もあと2ヶ月か。