わたしが感じている世界

一度の人生、適当に生きようぞ

サービス残業は美学でも何でもない、ただのゴミだ

仕事がこなせず残業してしまうと能力の低さに歯噛みしてしまうが、そこには残業代が発生するからこそ生まれる感情である。対価があるので残業をしても全力で仕事に取り組めるのだ。

だが、残業代の制度が元からなく、サービス残業が当たり前になると自身の能力の低さより、会社の意識の低さに不満が生まれて残業をしても全力で取り組むことはない。慣れると全力で取り組んでる姿勢を見せながらダラダラと生産性の低い仕事をする時間になっていくのだ。

また、1.5人〜2人でやれば定時で帰れる業務量でも1人で数時間残業をすれば終わらせることができる、サービス残業はそんな仕事ばかりだ。1人で時間をかければできてしまう、それが人を雇うことができない悪循環を生んでしまう。

サービス残業なので「残業代を出すくらいなら人を雇う」という考えも会社にはない。残業のコストがかからないからサービス自体も安売りをして、誰よりも低価格で提供するものだから薄利多売となり「多売」のところで従業員に負担をかけ、また悪循環を生んでいくのだ。

その結果、忙しいのに給料が低い仕組みが出来上がる。


忙しいことを美学にすると悪循環に拍車をかけて新しいことを取り入れず、楽な方法を提示しても決まったやり方から動こうとしない。こっそりやろうものならずる賢い、悪知恵を使っている、と負のレッテルを貼られてしまう。仕事をするための仕事を繰り返しやることが美しく正しいことになっていくのだ。

「人が足りない」は工夫と改善や仕組みの変化で解消することもあるが、基本は「できなかった」がないと会社は人を雇ってくれない。「できている」状態だと、なぜ人を雇う必要があるのか、と会社は思ってしまうのだ。


できている仕事も一度はこけないと分かってくれない。
だが、仕事はこけることが簡単にはできないのだ。

人間は簡単にこけて倒れるのに。