わたしが感じている世界

一度の人生、適当に生きようぞ

自殺は敗北なのか解放なのか

休まず働いて疲労が溜まり続ける日々になれば、ふと死ぬことを考えたくなる。あそこに飛び込めば、ブレーキを踏まず壁に突っ込めば、ずっと息を止めていれば、そんなことを考えながらまた出社をして心身を騙しながら働くのだ。

心身が限界を超えていくと退職という選択を考えなくなり、死ぬことでこの苦痛から逃れたいという思いが強くなる。だが、私は一線を越えることはなく長い時間をかけて退職という選択をすることができ、問題なく生活することができている。こう書くとかなり深刻なイメージになるが誰もが思う「もう嫌だ、死にたい」という線の中にいる。

それに私が一線を越えることがなかったのは、周りからの様々な支えがあったからだ。どれもほんの小さな支えであり、明るく挨拶をされたり、遊びに誘ってくれたり、愚痴を聞いてくれたり、誰もが経験のあるものばかりだ。だが、それが本当に芯にくる支えとなった。それがなかったら簡単に一線を超えていたのかもしれない。


自殺をしてしまえば周りには迷惑をかけることになるが、本人にとっては全てが嫌になり、失うばかりの日々に敗北したのか、全ての鎖から解放されたのか、どちらになるのだろうか。実際は両方であったり別の結果だったりするのだろうか。

一線を超えないようにするには周りからのどうでもいいお節介を受け入れる。こちらも誰かにお節介をし続けることで越えないようにしていく。そういう繋がりで人と人は成り立っていくがそれも心身に影響があれば敗北や解放を望むことになる。生きるのは面倒くさくて難しいものだ。


なんとなく昔を思い出しながら考えてみた。
転職活動中の暇な時間も心の整理になるので悪くはない。