わたしが日々感じている世界

一度の人生、適当に生きようぞ

見上げれば目の前は闇、その先に見える光は本当か

気づけば2年近くも放置していたこのブログ。そして、始めたのは2013年8月だから4年も経っているこのブログ。私は過去を振り返って積み上げたものをじっと見るものの、特に大きな成長はないようだ。

昔と変わらず仕事への情熱は中途半端なものである。一生かけて、命をかけて、何もかも犠牲にしてまでやりたい仕事は見つからないままだ。それとなく現状にちょっと付加価値がある仕事で、生活に困らないような年収であれば割りと満足できるのだが、現実はそう甘くはない。辛い日々の繰り返しである。


当たり前のように毎日残業、しかも残業手当てはない。人手不足によりマルチ的な業務を求められ、ミクロ的な業務効率を繰り返すも一瞬にしてひっくり返される雪崩のような業務量、足りない時間に増えないモチベーション、重箱の隅にあるミスを指摘されてはそこに費やす知識と技術説明、残るのは疲弊と壊れた脳みそである。


目の前にあるのは闇だが数年先には光があり、様々なことが改善されて手当も十分に用意され、年収アップも期待できると言われる日々だがその闇が日々の生活を蝕んでいるのだ。とても数年、いや数ヶ月すら耐えられるかどうか。体が壊れるのが先ではないか、体だけではなく精神も壊れて社会復帰に数年かかる、なんてことも考えれる。

逃げるように転職サイトを覗けば希望や笑顔に溢れた好条件ばかりで、闇の部分は口コミサイトにいかないとはっきりと分からない。好条件に目がくらんで入社すればまた闇がまとわりついて蝕んでいく、そんなことを繰り返してる人生があちこちにある。通勤する電車の中は負のオーラで包まれ、楽しそうに通勤してる人を見るのは稀である。


汗水流して働くのが労働ではあるが、流したくもない血や肉を捧げてまで働いた結果が廃人では意味がない。そう思いながらもまた一歩廃人に近づいていく日々である。


「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

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