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わたしが日々感じている世界

一度の人生、適当に生きようぞ

弱音と愚痴を上手く使い分けないと迷惑なだけ

仕事で何をするにしても嫌なことが出てきてつい弱音や愚痴を吐いてしまう。同僚と飲みにに行ったときや会議で上司の前で吐いたりと、ポロッと出てしまう場所はどこにでもある。ただ、上手く使い分けないと相手がげんなりしてしまう。

「弱音」と「愚痴」はなんとなく似ているが(と思うのは私だけだろうか…)、辞書で意味を調べてみると全く違うことが分かる。当たり前だが…。



「弱音」は事をやり遂げようとする気力がなくて力のないしゃべりになる。「愚痴」はどうでもいいことをひどく悲しみながらしゃべることになる。

こう見るとほんと愚痴というのは聞き流せば良いだけのダラダラした言葉の並びなんだろうな、と思う。でもこうした愚痴を酒場で延々と吐いて吐いて吐きまくってストレスを発散することは精神上とても良いことだ。吐いた相手が聞き上手でなければならないが、愚痴はどうでもいい時間と素晴らしい聞き上手な相手で成り立つ。

弱音は何かをやり遂げようとしても一歩足が出ずに不安いっぱいな状態のときに出てしまう。本当に踏み込んでいいのか、これで合っているのか、怒られたりしないか、壊れたりしないか、大きな損失が出るのではないか、とか。こういうときは面談でも会議でもいいので誰かの後押しがあればすんなり行くだろう。こうした弱音は不安に感じたとき、迷ったときに同僚や上司にすぐ相談をすればいい。相談するのが早ければ解決も早くなる。

ただ、弱音と愚痴の混じりに混ざってクソ面倒くさいハイブリットになると、聞く側も聞き流すところと解決すべきところの境界線が分からずに「まぁ、とりあえず頑張れ」と無難な答えしか返ってこなくなる。こういう場合は吐いた側もそんな答えを望んでない、となり両方がっかりとした結果になってしまう。こればかりは避けたい。

そのため、吐く側も「弱音」なのか「愚痴」なのかをはっきりさせた上で吐いたほうがいい。そのほうが相手もすっきりする。どっちか分からないときは「愚痴になってると思ったら止めてください」と言った上で弱音を吐けばいい。

愚痴を会社で延々と言っても仕方がないことだが、弱音であれば同僚や上司は時間をかけて解決をしてくれるはずだ。あまりにやりすぎると逆効果になって「お前ウザい」となるので気をつけよう。

たまにはクソどうでもいい愚痴を延々と吐きたい。「お前ウザい」と言われるくらい吐きたい。

弱音を吐いていいんだよ

弱音を吐いていいんだよ