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わたしが日々感じている世界

一度の人生、適当に生きようぞ

極めるためには辿り着けない領域へ向かうことだ

前にも書いたか気がするが、何かを極めたいということは心のどこかで常に願う気持ちだ。製品にしてもWEBにしても建物にしてもありとあらゆるものには職人技がある。目の前にあるペットボトルやテレビ、壁や電球にしても自分で作ることができるか、といえば作れるわけがない。作り方も分からない。

どのようにしてその形を選んだのか、長さは材料は材質は触感は…幅に文字に色に見た目に…とありとあらゆる決まり事の中で選ばれたものだ。ただのペットボトルでもすごいノウハウと技術と知識、その裏にある人や工場、原材料など考えると途方もない時間とお金がかかっている。1個あたりは数円〜数十円かもしれないが、それが世界中に数も分からないくらいありふれているのだから凄まじい。

では自分が培ってきたノウハウや知識や技術を使って何か作れるかといえば何もない。そう思ってしまうと世界から孤立したような感覚になるので深く考えないようにしている。でもたまに深く考えてしまってどうしようもない気持ちになる。助けてー、っていう感じに。

極める、といっても自分で決めたゴールに辿り着いたらそれは「極み」ではなくただの自己満足だ。極みとはゴールなどなく常に前進している状態で、他の誰も追いつけない、誰も超えることのできない領域にいるときくらいだ。それでもその領域にいる人は前進をし続けている。

私はそういう領域にいたい、と思うのだがそう思う時点で何かを極めることからはずれているのだろう。途方もないところにいき、極めたいと思うのならこうしてブログを書いていることすら無駄だからだ。

極めるひとほどあきっぽい

極めるひとほどあきっぽい