わたしが感じている世界

そろそろこっちで復活するかも

ノー残業デーを作ることを目的にしてはいけない

ノー残業デーについての記事があった。この手のは昔からよくあるものだが、善くも悪くも残業がない日を作るというのは必要なことだ。残業が当たり前になっていては心身共に良くない。それがサービス残業であれば月日が経つごとに無気力さが増してくる。


記事内のノー残業デーの弊害として飲み会になる、社内教育がある、誰も守らない、管理職ばかり残っている、親会社に導入されたが返事の遅れなどがあり結局業務量が増える、といった悪しき習慣となるケースがあるようだ。早く帰れる日なのに会社の用事が入るのはとても無意味なことだ。

会社の用事とかに縛られずごく普通に定時に帰れるのであればこれほど嬉しいことはない。普段できないことに挑戦もでき、十分な休養も取れ、家の家事や用事にゆっくり取り組むこともできる。

だが、週に決まった日に「ノー残業デー」としても他の日に業務が集中して普段より遅く帰る日が増えてる、休日出勤が増えた、となってはまるで意味がない。全体的な業務量が減らない限り「ノー残業」を実現するのはとても難しい。これは働けば働くほど実感していくことで考えるだけ悲しくなる。

ノー残業デーは従業員のモチベーションや業務効率などに一時的な効果はあっても長期間やると結局元に戻って残業の日々が続くのだ。ノー残業デーを作ることで「残業をしない会社」を実現できたとしても「デー」を作っているだけで「ノー残業」ではない。ましてや元々サービス残業であれば手元に入る給料に差はできない。ムダに搾取された時間を取り戻したにすぎない。

「残業をしない日を作る」となってもその先のことも同時にじっくり考えないといけない。残業そのものをなくしたいのか、残業代を払えるようにしたいのか、社員の給料を増やしたいのか、賞与に反映をさせたいのか、さらに経費削減をしたいのか、他の日に業務を集中させたいのか、などあらゆる角度から考え、別の目的も作ったほうが効果的である。

二重三重の目的があれば一つが潰れたとしても他の目的を遂行すればよい。また別の目的を作るのもよい。たった一つ「ノー残業デー」の目的だけであれば簡単に潰れてしまう。そうならないように上層部はもちろん、従業員も目的を作って会社に守らせたらいい。守らせるためにペナルティもあればより一層団結はするが、亀裂も簡単に入るので慎重に決めたい。大事なのは従業員にも考えさせ、一緒に目的意識を持つことだ。

そして、サービス残業が当たり前で改善も解決もしない会社は一刻も早くこの世から消滅して頂きたい。

サービス残業という地雷 (経営者新書)

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