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わたしが日々感じている世界

一度の人生、適当に生きようぞ

極めること

今取り組んでいるものや新しく取りかかろうとしているものをより高度なことが行えるように勉強と修行、修練を積むことはよくあることだ。ただゴールの意識が弱ければすぐ止めてしまう。挫折と呼ぶには生温い状態で止めてしまうこともある。やってみたものの面白くない、すぐ飽きた、難しすぎる、自分には合わなかった、止める理由は様々でたくさんでてくる。

だが生活をしているとその極まった知識と技術で成り立った製品がたくさんある。家やテレビ、携帯電話、パソコン、船、飛行機、目の前にある人工物のほとんどがそうだ。そうしたものを自分でも作れるようになりたい、そうした場に自分も参加してみたい、そうした気持ちがあるから諦めることなくあらゆるものに取り組むことができる。当然一人前になるには相当量の勉強と修行、修練は必要だ。

何かを極めようとしたら1万時間の壁を突破しよう、とも言われている。1万時間といえば約417日になる。24時間動き続けることは不可能なので、仮に一日8時間だとしたら1250日、約3年半くらいだ。それも休みなく。ただひたすら一つのことに集中して1万時間を超える、というのは並大抵のことではない。普通に生活しているのではムリなのだ。

それでは1万時間はムリでも半分の5000時間はどうだろうか。または2000時間、1000時間はどうだろうか。何かを極めようとすれば1万時間だが、何かを少し詳しくなりたい、と思えば1000時間でもいいのではないだろうか。その1000時間を10個すれば極めた人間ではなくとも博識ある人物になっているはずだ。

何かを極める、というのは本当に長い時間戦い続けなければならない。何かを極めたい、と日々何か思っていても私にはムリだ。かといって博識あるほうに目指せるかといえばこれも今はムリだ。今はムリでもこれからすればなんとかなりそうだ。

でも何かを極めたい、そう考えてしまうダメな日々だ。

シンプルに生きる―変哲のないものに喜びをみつけ、味わう

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