わたしが感じている世界

そろそろこっちで復活するかも

輝かしい成功話より似た境遇の失敗談が聞きたい

社会人になると誰もが成功を夢見て働いているが、全員が成功するわけもなく失敗して挫折したり出世を諦めて窓際が心地よくなる人たちもいる。成功した人は努力を語り、いかにして成功を掴んだかを熱心に伝えてくるがそれを聞いて「自分も頑張ろう!」という気持ちにはなれない。

その成功を掴んだのは世の中のごく一部であり聞いただけで誰でもなれるわけもない。参考や心の拠り所にはするが同じ生き方をしようとは思わない。したところですぐ耐えられなくなり一瞬にして真っ白になる。


私が聞きたいと思う話は似た境遇での失敗談や小さな成功話である。少しでも似ていれば聞きたくもなり、本やネットにあれば読みたくなる。そして、自分の立ち位置をはっきりさせてもう少し頑張れるのか、頑張るべきではないのか、他にチャンスや希望があるのか、そんな色んなことを考えて共感する。

ただ、そうした小さな失敗談や成功話でも行き着く先は「頑張ればなんとかなる」である。上を見ればキリがないが下を見ればすぐ地獄、それでも生きてさえいれば丸儲けの気持ちであればなんとかなるものだ。


そうした生きてさえいれば丸儲けという気持ちにさせる話のほうが聞きたくなるのは、努力をし続けられない精神力の弱さのせいだろうか。そうでなければ高度なビジネス書や自己啓発本を読み漁って常に成長する気持ちを忘れない生き方をしているはずだ。

なんだかんだで私は弱い。
弱いから弱い気持ちを晒してる話に寄り添ってしまうのだ。


スケジュールの予定を手帳にも落とし込むクセが役立つとき

仕事のスケジュールをクラウドで管理するのは今や当たり前の時代だ。業務上で決められたツールを使わなければならない場合もあるが、最終的には自分の手帳に落とし込むことが重要である。

スマホやパソコンがあればスケジュール管理が簡単できて社内でも何をしているか、何をするのか、が共有されて便利ではあるが、そうした機器がなければ確認できないのは不便だ。そういう縛りが嫌なのと、なんだかんだで手帳でパラパラめくるほうが検索するより早いのである。


また、決められたツールを使う、ということは退職した後は使うことができない。過去にどこにいて、何をして、何時間働いていたなどが分からなくなるのだ。そうなると転職活動の際、職務経歴書に実績や取り組みを落とし込むのは記憶頼りになってしまう。

記憶頼りは誇張されやすくなるので危険だ。


ただ、転職活動中の予定は仕事しているときよりほとんどない。手帳の予定も白さが目立ってきた。むりやり買い物などの予定をビジネス手帳に書いても虚しいだけである。そう思いながらも過去を振り返りながら手帳を眺めていると「あぁ、こんなことしてたのか…」と自分の記憶力のなさにも虚しくなる。

買い物、それだけでも手帳に書き入れるべきなのだろうか。


お金にするツールを使いこなせないと人生は損ばかり

仕事をしてる間はそれに没頭しておけば給与として懐にお金が入ってくる。ただそれだけでは人生を全うするのにお金は足りない。それはみんな分かっていることだが仕事以外でお金を生み出すことをしていない人もいる。私もその一人だ。

株や土地、マンション経営に仮想通貨、プロブロガーにYoutuber、絵を描いたり本を書いたり、セミナーしたり公演に呼ばれたり、ネットショップにオークション、世の中にはメインの仕事以外にできるお金稼ぎはたくさんある。あるのに手をつけたり本気で取り組んだりをしていない。


だって面倒だから。


たったその気持ち一つでお金にできた時間をだらけた時間に変えて今に至っている。あのときもっと取り組んでいれば、書籍を購入して勉強してコツコツしてれば毎月いくらかお金が入ってきていたのではないか。目の付け所が分からない、技術がない、面倒くさい、たったそれだけで諦めてしまったのはもったいないと今更思ってしまう。

何かに取り組むには休みの日に「待ってました!」と言わんばかりに没頭して、それ以外の日でも仕事帰りに少し取り組む、疲れていても取り組む、それを毎日繰り返す努力が必要なのだ。結局、その努力が面倒くさいと思ってしまうからダメなのだ。


面倒くさい、それだけで今までいくらの稼ぎをムダにしたのだろうか。
財布の中身を眺めていると悲しくなってくる。