わたしが感じている世界

そろそろこっちで復活するかも

仕組みを変えることができない人間は堕ちていく

働けど働けど評価されずに給与も変わらず、増えるは業務と心身に蓄積される疲労のみ、そんな日々を過ごす人がどれだけいるのだろうか。私もその一人だ。自身から見れば業務は無意識でもできてスピードもある、そしてノウハウは私だけのものだ。

その業務は私がいなくなれば全体業務に影響が出て損害もかなりのものだ。そう思うほどの仕事を抱えているが、実際にはただの思い上がりである。業務全体に影響が出るのは刹那であり、損害というのは大したものではない。周りの人たちが瞬く間にカバーして解決してくれる。


だいたいそのときに知るのである。私がいなくても大丈夫なんだ、休んでもいいのだと。ただそう気づく反面、評価や給与に大した反映がされない理由にも気づいてしまう。こんなにも大変な日々なのに、ではなく楽に仕組み化できない自身の能力の低さにである。

今日きつかったことを愚痴にしかできない人間より、知恵を出す人間に会社は評価をするのである。それが毎日のように続けば半年後、一年後の結果はどうなるかは明白だ。それができないからムダな疲労が蓄積されるのである。できないから苦悩しながら堕ちていく日々なのである。


仕組みを変えるには何が必要か、簡単なことだ。
情熱と自信、覚悟を持つことである。

私にはそれがない。だから堕ちていく。


成果につながる! 仕事と時間の「仕組み術」 (Asuka business & language book)

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ブラック企業を生み出すのは人ではなく仕組み

求人内容は良かったのに実際働いてみればブラック企業だった、それが当たり前の世の中である。ブラック企業と呼ばれるのは業務内容ではなく、過重労働への対策や一つの案件に対するチームワークのなさにある。

労使間で定めた時間外労働の範囲を大幅に超える状態が過重労働だが、そこに手当てもなくノルマや責任がのしかかり、減らない業務量を少ない人数(または一人)でこなす日々が続けば誰だって潰れてしまう。


そこでとられる上からの対策は「こうすればいいんじゃないの?」「要領よくやれば終わるよね?」とその場ではなぜか具体的な解決方法に聞こえることばかりである。


対策には時間とコストがかかるものだが、重い腰を上げてくれないことが多く、結局は先延ばしになりその間にその場しのぎのやり方で要領がよくなってしまい、解決したかのように見えるのだ。

そして、そこで生まれたスキルに対して「こういう人材が欲しい」になり、集まった人材がまたその場しのぎの要領で業務をこなす。泥沼化した仕組みが浮き彫りになるまでこれが続くのである。

現場と一体となり時間とコストをかけて腰を据えた対策をしないと根本的な解決にはならない。だがそれをムダな時間とコストととらえられ、すぐ終わらせようと特効薬的な解決方法と言う名の変なアイデアばかりが現場に降りかかってくる。終わりなき悪循環だ。


その仕組みを変えて解決するのは結局は現場の人間なのだ。


大切なことだけやりなさい

大切なことだけやりなさい

自分がいなくてもうまくいく仕組み

自分がいなくてもうまくいく仕組み

見上げれば目の前は闇、その先に見える光は本当か

気づけば2年近くも放置していたこのブログ。そして、始めたのは2013年8月だから4年も経っているこのブログ。私は過去を振り返って積み上げたものをじっと見るものの、特に大きな成長はないようだ。

昔と変わらず仕事への情熱は中途半端なものである。一生かけて、命をかけて、何もかも犠牲にしてまでやりたい仕事は見つからないままだ。それとなく現状にちょっと付加価値がある仕事で、生活に困らないような年収であれば割りと満足できるのだが、現実はそう甘くはない。辛い日々の繰り返しである。


当たり前のように毎日残業、しかも残業手当てはない。人手不足によりマルチ的な業務を求められ、ミクロ的な業務効率を繰り返すも一瞬にしてひっくり返される雪崩のような業務量、足りない時間に増えないモチベーション、重箱の隅にあるミスを指摘されてはそこに費やす知識と技術説明、残るのは疲弊と壊れた脳みそである。


目の前にあるのは闇だが数年先には光があり、様々なことが改善されて手当も十分に用意され、年収アップも期待できると言われる日々だがその闇が日々の生活を蝕んでいるのだ。とても数年、いや数ヶ月すら耐えられるかどうか。体が壊れるのが先ではないか、体だけではなく精神も壊れて社会復帰に数年かかる、なんてことも考えれる。

逃げるように転職サイトを覗けば希望や笑顔に溢れた好条件ばかりで、闇の部分は口コミサイトにいかないとはっきりと分からない。好条件に目がくらんで入社すればまた闇がまとわりついて蝕んでいく、そんなことを繰り返してる人生があちこちにある。通勤する電車の中は負のオーラで包まれ、楽しそうに通勤してる人を見るのは稀である。


汗水流して働くのが労働ではあるが、流したくもない血や肉を捧げてまで働いた結果が廃人では意味がない。そう思いながらもまた一歩廃人に近づいていく日々である。


「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)